自然の中の植物が勝手に育つのはなぜ?


農業も、プランター等の家庭菜園も、立派な収穫物を得るには、たくさんの手間と資材が必要です。

肥料だったり、水やりだったり、ビニール材とか、竹やプラスチックの支柱、防鳥糸、ネット、柵。忘れてはいけない石油や電気等のエネルギー。そして、農薬や除草剤。プランターでは鉢や土も必要ですね。

植物を育てるのって難しい。少なくとも、人がキチンと世話をしないとマトモに育たない。
そんなところが皆さんが思い描くイメージではないでしょうか。

でも、それでは、なぜ、森では植物は勝手に育つのでしょうか?
肥料をあげる人なんていないし、水やりをする人もいません。

考えてみると、不思議ではないですか?
家庭菜園では、少し放っておくと、すぐに元気がなくなったり、病気になったり、虫に食われてしまうのに、森の中の植物は誰も何もせずとも豊かに育つ。

農作業の一つ一つと比較して、自然が何をしているかを探っていきましょう!


耕す

畑は必ず、種や苗の植え付けの前に耕します。放っておくと土は段々固くなるからです。
プランターの土だって、繰り返し使えませんよね。多くの人が、捨てて、新しいのを買っているはずです。
耕さないと、植物は十分に根を張ることができずに元気に育ちません。耕すって、とっても大事なことです。

森では誰が耕しているのでしょうか?答えは、植物自身です。森は地面を覆い尽くすかのようにたくさんの種類の植物が密生しています。地面の中も同じようにたくさんの無数の根が広がっています。この根っこが、どんどんどんどん、土の中を掘り進むのです。やがて役目を終えて枯れ朽ちた根は無くなり、そこは空洞となります。これが土が固くならない理由です。正確にいうとその他たくさんの生物の影響もあるのですが、主には植物自身が、土を柔らかくしているのです。

畑に戻ると、普通は野菜などの作物の周りにその他の植物なんて生えていません。
逆に草が野菜の周りに生えていたら、ちゃんと世話してないと怒られてしまいます。
野菜はポツンと一人ぼっち。これでは、土が固くなっていくのは当たり前ですね。


水やり

畑も家庭菜園も、もちろん雨が降れば必要無くなりますが、少しでも晴天が続くと水やりが必要になります。
野菜や花を育てたことがある人は、乾いて、萎れて元気が無くなったそれらを一度は見たことがある人もたくさんいるのではないでしょうか。
とくにプランターなんかは水分量の変化が激しく、水やりはほぼ毎日ですよね。

さてこの水やり。森でやっている人は…当然いませんよね。
もちろんとても長期間水の供給が絶たれると森の植物も枯れてしまうのですが、少なくとも雨が豊富に降る日本では、まずそんなことはありません。プランターや畑よりも、ずっとずっと長い間、雨が降らなくてもへっちゃらです。
答えはこれまたたくさんの植物の根が、土の中でがっちりと水を捕まえているのです。
混成密植の森の地下は、とても保水力があるのです。

森では様々な植物が地中に根を拡げている




畑やプランターの土の中は、当然育てたい植物の根っこだけです。その上、基本的に植物の多くは必要以上の水分があり続けるとちゃんと成長できないため、水はけの良い土の構造になっています。
捕まえておくための根もなく、土も水はけが良い、これでは、頻繁に水やりが必要なわけです。

畑では大抵一種類の作物だけが一定間隔で離れて植えられています。保水力も低く土も固くなる。

肥料

肥料は植物のエネルギー源。
ってことは、イメージできるかと思います。
じゃあ、実際栄養となる要素はなんでしょう?
主に窒素とリンとカリウムの3つです。植物の3大栄養素、と言われています。

まず先に、森などの自然のメカニズムをご説明します。もちろん、森に肥料を撒いている人なんていません。自然は自力で調達しています。
そもそも、窒素は大気中に存在していますし、リンやカリウムはあらゆる生物の構成元素です。
生命あふれる森の中でのみ吸収と排出が繰り返されている限り、途絶えることはありません。

土の中にいる、キノコの正体である糸状菌が、自身の生命活動をすると同時にそれらの要素を集めていきます。
そして土の中にいるたくさんの微生物が、自身の生命活動をすると同時にそれらを有機物から無機物に変えていくのです。
植物は、無機物となって、ようやく吸収することができます。

工場で作られる化学肥料は無機物です。ゆえに、土の中に微生物なんかいなくても植物は生きていけます。
動物の排泄物や植物の残渣などを発酵させて作った肥料は有機物です。ゆえに、土の中に十分な微生物がいれば糸状菌がいなくても植物は育ちます。

逆にいえば、糸状菌や微生物が土の中に十分にいない場合は、人がそれぞれ、有機肥料や化学肥料をあげないと植物はまともに育たなくなります


除草剤

そんなふうに手間をかけたり、お金を出して肥料を与えるのはなぜかというと、もちろん作物のためです。
大きく、立派に育てるためです。
なのに周りに雑草が生えようものなら、せっかく入れた栄養が奪われてしまいます。
苦労して(?)やったこととなるととたんに許せなくなるのが人。
奪うんじゃないよとブチブチ抜く。ええいめんどくさい、薬を撒いて全滅だー、となるわけです。

一方森は大変平和です。
奪い合いなんて起こりません。
だってどれだけ植物が生えていても、それ以上に土の中には糸状菌や微生物がいるのです。
糸状菌や微生物は学生寮に例えると寮母のようなもの。
毎日十分な量のゴハンを作ってくれるから、奪おうなんて発想はありません。


農薬

ここまでくると、こんな不自然な環境で育つ作物は、えてして病気になりがちです。
じゃあどうしよう?
薬で無理矢理元気にしよう。
病気のもととなるものを薬でやっつけよう。
虫とかも死ぬけど。動物とかも死ぬかもしれないし、まず近寄らなくなるけど。
薬で作物だけ耐えられるようにしよう。
これ散布する農家さん。とっっっても危険だからぜっっっっっったいに吸い込んだり触れたりしないでねby農協の人
俺はこれ食わないby生産者






殺虫剤

農薬で死の世界と化した畑には一時的に生き物がいなくなります。
やがて薬の効果が薄れてくると、天敵がいない虫にとって、畑は天国と化します。
一種類の害虫が大量に発生する理由の一つはそんな時です。

これも、問題解決のために殺虫剤が使われます。

…この、除草剤・農薬・殺虫剤は、必ずしもこの順番で必要になるとは限りませんが、この中のどれか一つを使ってしまうと芋づる式に次々と必要になってしまうのです。


終わりに:生態系が、在るか無いか

今までのことを逆に言えば、生態系の働きを排除せず、むしろうながせば、これらの手間や資材は、一切必要無くなるのです。
もちろん収穫量は少なくなります。
薬漬けにしたほうが、きっと面積あたりの量はたくさん取れます。
でも今は耕作放棄地がいっぱい。これを放っておいて、一箇所で面積あたりの収穫量のためにわざわざ人の手間と消費エネルギーを増やす?それは長い目で見て効率的?

始まりは、そんな森の仕組みなんて想像することもなく、ただ作物だけをポンと植えて、どう育てれば立派に育つかを研究し始めてしまったこと。

単一栽培(ニンジンならニンジンだけ)に不要なモノはとにかくまず排除して研究が始まり

日本のような気候ではないところでは、人工的に耕し、人工的な肥料を与えるだけで、土がどんどん痩せていきます
古代の文明があった場所は、例外なくすべて砂漠です。
さらに近代は薬に頼るようになり、生態系のバランスはどんどん崩れていきます。

効率を重視せず、『ソコソコ』を受け入れれば、人のやる事なんてすごく少なくなります。
必要なエネルギーも、ずっとずっと少なくなります。

著者:NPO法人見沼の里 車田喜由

(注)本コラムは筆者本人の個人的見解に基づいて書かれたものであり、
当NPO法人の見解、意見等を示すものではありません。

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